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NAEF/ネフ社
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2013年4月より、生産地がドイツに切替わり、
ネフ社のロゴマークも新しくなりました。

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 ・ネフ社の歴史   

 ・クルト・ネフ氏からのメッセージ 

 ・Mr. NAEF saying - ネフ氏の語録から - 

 ・ニキティキにとってのネフ 

 ・生産国の変更 

 ・ネフ社製品の紹介 

基本データ

2001年 2月作成

追記ー1

2006年12月作成

追記ー2

2008年8月作成

追記ー3

2013年4月作成






1958年、創業者であるクルト・ネフ氏がネフスピールを世に出し、これが世界屈指の木製玩具メーカーの誕生のきっかけとなりました。ネフ夫妻だけで出発した小さなメーカーネフ社は、その後も新しい発想の玩具を次々発表し、20世紀後半の世界の玩具の歴史に多くの影響を与えてきました。ネフ社の積木は、幾何学的な形のなかに世界の仕組みを宿しているように感じられ、遊び手の創造力を満足させてくれます。現在のネフ社の製品はその多くが外部のデザイナーの作品を商品化したものです。そしてネフ社のカタログと商品のパッケージにはすべてそのデザイナーの名が記され、その商品は作家の作品としての付加価値を与えられているのです。このことは同時に、クオリティの高いおもちゃを製作するための信頼のおける技術がネフ社にはある、ということが、ものを生み出そうとする人々に広く認められている証拠とも言えます。
はじめての積木が作られてから40年以上経った現在でも、ネフ社は業界の先駆者の名に恥じないオリジナリティーのある玩具を作り続けています。

  

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1980年頃のネフ社のトラック

ネフ社の歴史

  

1958年以前/ネフスピールが誕生するまで〜ネフ社創業

1926年

創業者クルト・ネフ(Kurt Naef)氏生まれる。
スイス、フラウエンフェルトに農業を営む両親のもとで、自然に囲まれた子ども時代を過ごす。

1942年

家具製作の現場で実習を受けながら平行して通ったSchreiner(=木工)の専門学校を卒業。
その後バーゼルの美術工芸学校、アムステルダムの美術学校でインテリアデザイナーの勉強をし、大手 の家具メーカーで仕事を始めたネフ氏は、伝統的な家具に囲まれて仕事をする中で、逆に近代的な家具 の美しさに気付き、自分の気に入った物を扱ったりデザインしたいという思いを強くする。但し、この 工場では後のネフ社の経営に役立つ量産のシステムの工程や組織を学ぶ事になる。

1954年

ネフ氏は現在のネフ社の前身、家具とインテリアの個人会社ネフ社を設立。
当時スイスでは全く新鮮だったデザインの美しい北欧の食器(ダンスク等)の輸入も始め、それが成功 しデザインにこだわる多くの顧客も出来た。ネフ氏自身がデザインした家具や木製の器などの小物もその店で販売。

1958年

ネフスピールの誕生。
顧客の一人が、「世の中には、美しい食器や家具があるのに、美しい玩具がない。この店にふさわしい玩具を作るべき。」とネフ氏に助言。この事がネフスピールを世に出すきっかけとなった。作る時点で ネフ氏は、子どもに与える影響や、量産の事など全く考えず、自分の気持ちのおもむくままに夢中で作 り上げたという。
リボンの形の新しい積み木「ネフスピール」はネフ氏の店のためだけにネフ氏の工房 で作られ、多くの人に求められた。
この事がきっかけとなり、ネフ氏はやがて家具、インテリアの世界から玩具の世界に方向を転換する。 やがて小さい自分の工房から馬小屋を改造した工場が出来、本格的な玩具作りが始まる。ベビーボール、カウリングなどが、この工場で生まれた。彫刻家のアントニオ・ヴィタリ(Antonio Vitali)氏の玩具の一部もこの工場で作られ、氏の工房でろくろを駆使して生産された動物などと共にネフ社の初期プログラムに加えられ世に出された。しかしヴィタリ氏との仕事は短い期間にしか続かなかった。

  

玩具メーカー ネフ社の発展

1960年

ニュルンベルク国際玩具見本市に初出展。
ネフ氏の期待に反して、一部の人の目を引いたものの、斬新すぎて業界の人達には理解されず、その後しばらく経営的に厳しい年月が続く。しかし、辛抱して毎年出展していくうち、ネフ社の玩具は、識者の間で評判になり、次第に世の中に広まっていった。特に米国のクリエイティブ・プレイシングス社(現存せず)の目にとまり、膨大な注文がもらえた事で、ネフ社は大きく飛躍し、社の基盤を築いた。

1967年

ネフ自社ビルの建設。
自分自身の工房から馬小屋を改造した工場。その次のステップとして、ついに工場を併設した自社ビル の建設が可能になった。建設に当たり、ネフ氏は近代的で美しい工場を建てたいと考えた。当時も玩具業界は銀行にとってあまり歓迎される融資先ではなかったため、資金には限界があった。ネフ氏は、 色々な業種の工場を見学し、どんな工場にするか模索した。ある日、自動車工場を見学している時、全部を自社工場で作るのではなく、それぞれの部品を得意なメーカーに下請けさせ、組み立てと仕上げをネフ社が責任をもって行えば良いということを思いついた。そこでネフ氏の工場建設計画は、すぐれたパーツを作ってくれる能力のある人達や、工場を探すことから始まった。
そしてカッティング、研磨、パーツの接合、組み立て、塗装、セッティングが主な作業となる近代的で美しい、工場と倉庫を併設した本社ビルが完成。この近代的な工場は2003年Zofingenに工場が移転するまで、ネフ社のシンボル的な存在として活躍、35年の間に 多くのネフ商品を世に送り出した。

  

デザイナー、ペア・クラ−セン(Peer Clahsen)との出会い

1967年

1967年 自社工場建設の年、ネフ社はペア・クラーセンに出会う。
仲介をしたのはクラーセンの作品、3DM(スリーディメンション)。この立方体のゲームは早速ネフ社で製品化され評判になった(現在廃版)。ネフ氏がデザイナーから、経営者の立場に変わっていく最初の兆しがこの二人の出合いにあったといえる。

1968年

キュービックスの出現
クラーセンのキュービックスが世に出る。ネフの代表的な商品として、今日でもベストセラー。日本でも美術の教科書に何度か取り上げられた。このキュービックスの誕生は、ネフ社が優れた技術を持つ、 世界に類のない近代的な構成玩具のメーカーとして社会に認知されるきっかけとなる。クラーセンにと ってもネフ氏との出合いは大きな意味をもった。彼は次々と作品を持ち込み、ネフ氏も彼のデザインを取り上げセラ、ダイアモンド、ドリオなど、多くの傑作を商品化した。そしてクラーセンだけでなく、 多くの世界のデザイナーが、ネフ社での製品化を目指して、作品を持ち込む方式が徐々に確立されていくことになる。

  

ネフ日本市場へ

1971年

アトリエニキティキを通して、ネフ社が始めて日本の市場に登場。現在も生産されているネフスピール、リグノ、キュービックス、ベビーボール、オルナボ、ひも通しポニー等が日本の子ども達の手に渡った。

1974年

ネフ氏初来日。
ネフ夫妻、ネフ社20周年の記念旅行で日本に。ネフ氏を迎え、COLLECTION<NAEF-SPIEL>モダンリビングの中の木のおもちゃ展を、当時のアルフレックス(東京・青山)で、日本初のネフ社単独の販売展示会として開催。以後、親日家となったネフ氏は、その後9回も日本を来訪。そのうち3回は創作玩具公募展委員長として現代玩具博物館に招聘されての来日。

  

バウハウス作品復刻版の製作

1977年

20年の間にその正確な作りと塗装技術で世界一の木製玩具メーカーとして認められたネフ社はベルリンのバウハウス資料館の依頼を受け、バウハウス玩具の復刻版製作を始める。このシリーズはバウハウスに興味を持つ世界中のファンや美術館の手に渡り、ネフ社の経営に寄与。また資料館にも多額のライセンス料が入る事となった。その後も多くのデザイナーが作品をネフ社に持ち込み、ネフ社はその中からネフ社のプログラムに適した玩具を選択し、商品化までのコーディネートを引き受け、品位のあるデザイン性にも優れたネフの商品を生み出し、次々と世に送りだした。子どものための玩具、大人も魅了する構成積木、レベルの高いパズル、プレゼント用品、プレミア用品等その範囲は広い。ネフ社に作品を持ち込むデザイナーは次第に国籍を問わず多くなり、日本からも何人ものデザイナーが自信作を送り込んだ。

1980年代

この時期はネフ社にとって充実した実りの多い時代であった。ネフ氏は自社の商品に加えて他社の商品を選び、ネフコレクションとして販売した。その選択眼は鋭い反面、ユーモア感覚に優れ、選択の分野も広く、それらがネフの自社商品と並んだ時突然美しく魅力的に見え、いつも周囲の人々を驚かせた。「コストがかかる自社の製品の製作を続けるために、ネフコレクションの販売は不可欠」とネフ氏は説明していたが、ネフコレクションが業界に与えた影響も大きかった。ネフ氏がその製品に新しい命を吹き込んだかのように、ネフコレクションで選ばれた商品やその類似品が、翌年の見本市から他社のブースで活躍することも多かった。

  

ネフ株式会社の設立〜ツォフィンゲンへ移転

1989年

ネフ株式会社の設立。
60才を迎えた頃から、ネフ氏は後継者を見つけ、ネフ社の経営から身を引きたいと考えるようになる。 会社経営の重責からはなれ、本来やりたかった事、例えば長く離れていたデザインの仕事に集中するための時間を持ちたいと考える。個人会社のネフ社を株式会社にし、経営に口出しをしないようにと、株を持たず、商品開発と販売のアドバイザーとして、期限を決めて顧問としてのみ関わる事を自分に課した。1989年ネフ株式会社が設立されるのを機にネフ氏はやりたかった事の一つ、自分の経営する玩具店「PLAY ON」* をネフ氏が長く住んでいた、ネフ社の近くの小さな街、ラインフェルデン(RHEINFELDEN)にオープン。 その後自身は居をフランスに移す。大きな庭のある古い美しい邸宅の一角に、念願の工房も作った。
(* PLAY ON は1998年に地元の企業に譲渡。現存せず。)

1995年

ネフ株式会社の顧問としての契約期間が終了。
ただ恒例の玩具見本市スタンドではこの後もネフ社に請われ顧客を暖かく迎えるネフ氏の姿があった。

1997年

ネフ株式会社の初代社長と工場長が社から身を引いた時点で、ネフ社の要望で再び顧問としてネフ社に関与することになる。

2000年

引退後はネフ社だけでなく、イタリアやドイツの玩具メーカーで作品を商品化し、デザイナーとして充実した日々を過ごしている。7月に芦屋市立美術博物館主催の『クルト・ネフ/デザインとおもちゃ』展が開催された。クルト・ネフ 氏はこの展覧会で行われた講演会のために来日。このネフ展には1970年〜2000年までのアイテム約300種、500余点が展示され、会場全体に広がる明るい色彩が、期間中1万人をこえる来場者を楽しませた。この芦屋でのネフ展は、同年4月、岡山の現代玩具博物館が、ニキティキの収集した、ネフ社の30年来の玩具を一堂に展示した『スイス・ネフの世界』展に触発された企画。日本の公共の美術館で開催されたはじめてのネフ展となった。

2002年

4月にクルト・ネフ氏がデータベースアーカイブ作成のため来日。
名古屋芸術大学での展覧会関連企画として玩具デザイナー樋口一成氏との対談『Naef Design』が行われた。
9月、ネフ社はクルト・ネフ氏の義息、エンゲラー(Hans Peter Engeler)氏を中心とした新しい経営陣を迎える。フランスからスイスに居を戻していたネフ氏も改めてネフ社の運営に力を貸すこととなった。

2003年

4月、本社、工場がツォーフィンゲンに移転。
5月にセラ、キュービクスのデザイナー、ペア・クラーセン氏が『ペア・クラーセンの世界―立方体の7つの窓』関連企画(展覧会、講演会、ワークショップ)のために初来日。
展覧会は目黒区美術館区民ギャラリーと女子美アートミュージアムにて、講演会は目黒区民センターホール、武蔵野美術大学、女子美術大学にて、また各大学で学生のためのワークショプも行われ、学生や、ネフファンが数多く訪れた。なお今回の『ペア・クラーセンの世界―立方体の7つの窓』展の関連事業は、目黒区美術館・女子美術大学・武蔵野美術大学の3者が主催となり、デザイン教育の一環として企画された。

追記ー1

  

2006年

クルト・ネフ氏が80歳を迎えるにあたり、スイスの出版社より氏の初めての美術書「Kurt Naef - The Toymaker」が発刊。この出版を記念し、スイスと日本で展覧会を開催。

於:スイス/Werkschau Kurt Naef Der Spielzeug- Macher
2006年5月13日 − 10月5日  場所 : Schweizer Kindermuseum Baden スイス・バーデン
NAEF社コレクションを展示。

於:日本/Kurt Naef - The Toymaker 出版記念展
2006年7月25日 − 7月30日  場所 : ギャラリーfeve 東京都武蔵野市
1950年代〜最新作に至る「Kurt Naef - The Toymaker」掲載品約110点の他、クルト・ネフ氏のデザイン約30点をあわせた約140点のニキティキ所蔵のネフ社玩具を展示。 詳しくは 過去のTOPICS〈11〉参照。

2006年

11月30日の夕刻(日本時間12月1日早朝)、クルト・ネフ氏はスイスのZofingen市の病院にて永眠。(享年80)

追記ー2

2008年

クルト・ネフ氏の作品回顧展開催。 東ドイツデザインミュージアム振興協会という、バウハウスからはじまる20世紀以後の東ドイツのデザインのリサーチや研究を行っている団体が主催。ドイツ北部の街ヴィスマールのSt.Georgen 教会に200点以上のネフ社の玩具やプロトタイプを展示。  詳しくは 過去のTOPICS〈21〉参照。

於:ドイツ/
Kurt Naef Der Spielzeugmacher The Toymaker
2008年9月3日 − 11月6日  場所 :
St.Georgen教会 ドイツ・ヴィスマール

追記ー3

2012年

9月 生産工場・倉庫をドイツに移設。 生産拠点はドイツに移ったが、本社はスイス・ツォフィンゲンのまま変わらず、マネジメント等は従来どおり本社にて行う。









NAEF
自宅の庭でくつろぐネフ氏
  

クルト・ネフ氏からのメッセージ

『おもちゃはファンタジーを生み出すものであったり、発達を促すものでなくてはなりません。
何通りもの形で遊ぶことができ、美しくなければいけません。
なぜなら、子どもたちはおもちゃを通して、様々な世界を知っていくからです。』 クルト・ネフ

(NAEFカタログより)

 

 

MR.NAEF's sayings −ネフ氏の語録から−


■遊び(SPIELEN)について

●遊びの体験が一人の人間に及ぼす影響の大きさを認識するべき。
●遊びの複雑なプロセスを通じて身につけた事が、その子どもの人生に大きい影響を与える事、そしてその遊びを助長する為に玩具が大きい役割を持っている事にもっと関心を持つべきである。


■ネフ氏のおもちゃチェックポイント

●そのおもちゃを通して子どもがどんな経験ができるか
●そのおもちゃを通して子どもが世界を見る事ができるか
●そのおもちゃで遊ぶ子の年令にあっているか
●子どもの要求に対応できるか
●そのおもちゃに合う正しい材質を選んでいるか
●美しいか
●機能的か
●安全性は
●長く遊べるか
●価格は妥当か
●オリジナリティは
●流行を追うものでないか

ニキティキにとってのネフ

ニキティキのはじまりはネフ社との出会いからと言っても過言ではありません。ネフ社の商品を日本の子どもに紹介したいとの思いで、ニキティキが小さな一歩を踏み出したのが1970年、ネフ社の商品に魅せられ、スイスのネフ社を訪ね日本への輸出をお願いしました。その秋、商品は到着したものの、当時の日本の玩具市場にとってネフの商品は、玩具の観念から大きくはずれていた上に価格も高く、扱ってくれるお店が見つからず悪戦苦闘。やっと8ヶ月後、玩具売場の担当の方達は売れないからと乗気でないところを、「こんな玩具の世界がヨーロッパにある事を顧客にお見せするのも百貨店の役目の一つ。責任は自分がとる。」と当時の部長の決断によって、1971年6月、新宿伊勢丹の玩具売場で「ヨーロッパからやってきた木のおもちゃ」というタイトルの販売展示開催にこぎつけました。展示会は大方の予想を裏切って成功。ネフの商品と日本人の暖かく深い関係の出発点となりました。
2002年9月、ネフ社はクルト・ネフ氏の二度目の配偶者ロッティ夫人の長男エンゲラー氏を中心とする新しい経営陣を迎え、2003年4月には会社も1967年以来使用していたツァィニンゲンから、ツォーフィンゲンに移転しました。新生ネフ社の出発には、創設者のネフ氏も力を貸しました。現在では、ベビー玩具、ネフスピールなどの構成積木、デザイン志向のインテリア商品の3本の柱を中心に、優れたデザインと精巧な技術を生かした生産で、世界の業界で一目おかれる存在として活躍しています。

ネフが日本に入ってきて以来、日本にはネフを愛するのファンも幅広い年齢層に拡がりました。こどもの遊びやその環境をとても大切だと考える保育者の方達がネフの玩具を園にとりいれる例も増えました。日本のこども達が、ネフの玩具で夢中で遊んでいる姿に感銘を受けたネフ氏やネフ社の人達が、その事を誇りを持ってヨーロッパで語っていらしゃる事をニキティキはとても嬉しく受けとめています。

 

 

生産国の変更

2012年9月にNaef社は生産・流通拠点をスイスからドイツへ移し、2013年4月より、新たにドイツ製のネフ製品が出荷されるようになりました。(生産国表記もSwiss made から Made in Germany に変更) 生産に使用する機械もそのまま新しいドイツの工場に移し、素材・原料等も一切変えず、従来どおりのゆるぎないネフ製品の品質に変更はありません。本社はスイス・ツォフィンゲンの現在地にとどまり、生産・出荷以外の業務はすべてスイス本社で行っています。

 

NAEF社ホームページ http://www.naefspiele.ch/

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