DUSYMA   

DUSYMA/デュシマ社
ドイツ

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 ・デュシマ社の歴史 

 ・DUSYMA社おもちゃ製作の10の規範
 −クルト・シフラー氏の語録−

 ・現社長ルル・シフラーさんのこと 

 ・デュシマ社製品の紹介 


2014.10 追記-1


デュシマ社の歴史

デュシマ社は、1925年の創業以来保たれている物作りに対する揺るぎない信念と、その信念に裏付けされた堅牢な物作りの技術で、ドイツだけでなくヨーロッパの中でも特に優れた玩具メーカーとして認知されています。デュシマ社は、常に保育の現場に目を向け、そこから子どもたちの自然な成長を手助けするための玩具や家具を作り続けてきました。
創業者クルト・シフラー (Kurt Schiffler 1896 〜1986)氏は、フレーベルの思想やゲーテの色彩論に強い関心を寄せ、数や形、色彩を自然に学ぶ事ができる玩具を考案すると同時に、伝統的な技術を改良した量産の新しい技術の開発も手掛けました。
創業から46年後、2代目のルル・シフラー(Lulu Schiffler)さんに引き継がれた後も、デュシマ社の基本的な姿勢は変わる事なく受け継がれました。ルル・シフラーさんは、生まれ持った企業家としての資質と幼稚園の先生の体験、そして3児の母である女性の感性を生かし、デュシマ社を時代の変化に対応した玩具メーカーへ飛躍させる一方で、幼稚園などへの大手販売会社としても成長させました。
またデュシマ社は、東西ドイツの統一に素早く対応し、玩具の発祥地といわれるエルツ山地のザイフェン(旧東ドイツ)に合弁会社を設立。統一の後、急激に拡がった幼稚園家具の需要にきちんと対応しました。現在ではその工場で玩具作りのほとんどを行い、本社の工場では幼稚園用家具の製作を行っています。幼稚園用家具の老舗メーカーでもあるデュシマ社の家具はブナ材と合板を巧みに組み合わせた堅牢な作りと、シンプルで美しいデザインでヨーロッパの幼稚園に広く普及しています。

デュシマ1 デュシマ2

ミーデルスバッハのデュシマ配送センター
(奥に見えるのが本社と工場)





  

「デュシマ工作所」設立〜初めての玩具を製作

1925年

創業者のクルト・シフラー社長は多才な人物であった。地質学と電気工学を学び、測定用の特殊な定規を考案し、その製作会社を1925年に設立。その後、楽器の生産も手掛け、その弾き方を広く伝授する事を通じ幼児教育の現場を見る機会を得た。その楽器製作の傍ら、フレーベルの思想に基づいたドミノを手作りで1000個製作し、楽器とともに幼稚園などで販売した。
当時ドイツの幼児教育のレベルはまだ低く、それを憂えたシフラー氏は、こうして幼児のための遊具や家具作りの世界に足を踏み入
れることとなる。

1928年

シュトゥットガルトの近郊に移転。幼稚園を対象とした家具や工作用材料の製作を中心にする。その後事業は順調に発展し1929年には家具などの製造にともない工場が手狭となる。そこでシュトゥットガルトから汽車で30分ほど離れたミーデルスバッハに移転し、現在のデュシマ社の基盤となる製作所を建設。
フレーベルを信奉した氏はその理論に基づいた玩具を次々と商品化。同時にシンプルで堅牢な幼稚園の家具の生産も手掛けた。第二次世界大戦に参戦した氏は、戦後の復興期に、自分の信念と熱意を糧に、再び新たに幼児教育の世界での物作りに挑戦をする事になる。氏の熱意ある物作りへの努力は、戦後間もなく結実し、デュシマ社は優れた幼稚園家具のメーカー、また伝統ある玩具メーカーとして、業界において認識される事となる。今日のデュシマ社の玩具や家具の基本ラインは、戦前すでにシフラー氏が世に出していたものを、戦後再び本人が生産ラインに乗せ、父親を尊敬する2代目社長のルル・シフラー女史が受継いだものである。現在のドイツの多くの玩具と幼稚園家具の原点はデュシマ社にあると言えるほど、シフラー氏が後発メーカーへ与えた影響は大きかった。

 


シフラー氏の功績1/ミニチュア動物の製造法を考案

1933年

シフラー氏はミニチュアの動物の製法も考案、実践し成功を収める。堅いドイツのブナ材で作られたこれらのミニチュアは、染め付け(Beizen)の技法で透明感のある色付けがなされている。金太郎飴のように棒状に切り出された動物(写真 1)を切断してゆくと動物が量産されるこの技法は、チェコとの国境沿いの旧東ドイツの村、ザイフェンで特殊技能をもった、限られた職人によるライフェンドレーエン技法(輪切りにした木材からろくろで切り出したリングを縦割りにし同時に約60個の同形のミニチュア動物を作る技法)にヒントを得たもので、特殊な技能を持たなくても、機械を使っての量産を可能にした、当時としては画期的な方法だった。現在では多くのメーカーが、この製法でミニチュア動物を生産している。

 


シフラー氏の功績2/ジョイント式積木の開発

1935年

この年にはシンプルなユニットを組立てることで、自由に建造物や動物などを造形してゆくジョイント式の新しい積木を商品化し、同年特許の申請をする。そこには、当時の玩具メーカーにはなかった自社製品に対する真摯な姿勢と物作りへの高い意識が伺える。このSteckbausteineは、ジョイント積木の元祖として玩具の歴史に残るものであった。このオリジナルのパーツ25000個を使用して、1950年にシフラー氏が子どもたちやスタッフと製作したウルムの大聖堂(写真 2)は、現在ミュンヘンのドイツ博物館に収蔵されている。
デュシマ社のロゴは、このジョイント積木のパーツをデザイン化したものである。

 


プラスチック素材の導入

1950年

第二次世界大戦を経て、その後の復興のなかでデュシマ社は徐々に玩具メーカーとしての基盤を築いていった。戦後業界に登場した新しい素材プラスチックは、自然素材しか使用しないと断言していたシフラー氏にも影響を与え、木では製作できなかったアイデアが、プラスチックの特性を生かした玩具としてプログラムに加わった。1957年に開発されたプラスチック製玩具、デュシマスナップ(Knueferli/NTカタログno.D23-5)が大ヒット。また前述のデュシマジョイント(Steckbausteine/NT カタログno.D23-4)も木では破損が多くコスト高になる悩みを、素材をやわらかい弾力性のあるプラスチックにする事で解決。この2つのアイテムがヒットした事は、当時のデュシマ社に経済的にもおおいに貢献した。
ルル・シフラー女史が子どもの時、一番熱中して遊んだ玩具がデュシマスナップ(写真 3)。彼女の手にかかるとデュシマスナップはマジックのように自由自在にその形を変化させる。この2アイテムは現在もドイツの多くの幼稚園で広く活用されている。

 


生産体制の確立と大型遊具の開発

1968年

ミーデルスバッハに近代的な自社工場と本社が建てられ、緑に囲まれた静かで美しい環境の中で、玩具と家具の本格的な生産体制を確立。現在も,本社と工場は当時の建物を使用している。

 


世代交代

1981年

シフラー氏は娘のルル・シフラー女史に会社経営を託し引退。2代目社長のルル・シフラー女史は、頑固なまでに自分の理念を貫いた父シフラー氏の業績を大切にし、物作りの底に流れる哲学を守りながら、さらに子どもへの愛情あふれる、しなやかな発想で新しい玩具や家具(写真 4)を開発し今日に至っている。

1986年

ミュンヘンのドイツ博物館で開催された『BAUKLOETZE STAUNEN』という積木の歴史とその意義を追求する展覧会の主催者にシフラー女史は協力を求められ、デュシマの主要商品が展覧会の軸として展示された。この展覧会を通じ、クルト・シフラー氏が歩んできた道はドイツの積木の歴史に大きい足跡と功績を残した事が、あらためて幼 児教育の専門家や識者に認識される事になり、公にも認知された。
奇しくもシフラー氏が逝去する年にこの展覧会が企画され、氏が生前にその事を確認し、喜んで受け止めた事はシフラー家にとっても大きい喜びと思い出になったと、父親を語る時、ルル・シフラー女史はいつも感慨深げに話してくれる。


1987年

240cmの高さを持つ、夢の家(Traumhaus 写真 5)が開発される。80cm角をユニットとして自由に設計できるこの家は、屋内に設置でき、囲まれた狭いスペースに自分の世界を持ちたがる子どもの特性に対応し、子どもの夢を育む大型遊具としてヨーロッパ各国で多くの幼稚園に取り入れられた。パーツを工場から届け、現場で組み立てる方式の、この家のシリーズは現在もアイテム、バリエーションを増やし生産されている。
日本でも、子どもの心を大切にして玩具や家具の選択をしてきた保育園などで、このドリームハウスがすでに導入され子ども達に楽しい空間を提供している。

 


東西ドイツの壁崩壊

1989年

ドイツを東西に隔てた壁がなくなり、生産コストの安い旧東ドイツが注目されることになった。デュシマ社はザイフェンの元玩具工場長ザイドラー(Seidler)氏と合弁会社ジーナ(SINA)社をザイフェンの隣街ノイハウゼン(Neuhausen)に設立。ジーナ社はデュシマの玩具製造部門を受け持つ事となり、デュシマ社の技術提携のもと、資本主義社会での物作りに挑戦する事となる。

1994年

ミーデルスバッハの本社の隣に大きい配送センターが完成、本社から送られてくる受注伝票から品出し・検品・ 梱包・配送までの一連の作業が近代的な明るい配送センターで、コンピューターシステムをフルに活用し、能率良く行われている。

2000年

創立75周年を記念し、総合カタログを刷新。幼稚園を通じて親に玩具を販売するシステムを確立させる。

2002年

5月にルル・シフラー氏がニキティキの展示会『デュシマの世界』のために来日。ドイツの幼児教育と自社の幼稚園用玩具のプログラムについて参加者と語りあった。

追記-1


新素材(アクリル)製品の開発

2006年

新素材(アクリル樹脂など)を積極的に取り入れるようなる。

2008年

積木にも色、光、影を取り 入れようと、10年前から持っていたウール積木をアクリルで制作するアイディアを実現し、Lumiブロック、続いてLuxyブロックが誕生した。

2014年

7月にルル・シフラー氏がニキティキの展示会のために来日、ニキティキの顧客に向けて2回の講演を行う。
DUSYMA社ルル・シフラー氏講演会
『DUSYMA社の玩具』 内容まとめはコチラ→
『DUSYMA社の園用遊具と家具』





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1. 1930年代、シフラー氏が考案し、実用化に成功したミニチュア量産の過程で棒状に切り出された動物。
2. 1950年、木製のDUSYMAジョイントのオリジナルパーツ25000個を使用して、シフラー氏が子どもたちやスタッフと製作したウルムの大聖堂。
3. 二人の姉と一緒に並ぶ幼少期のルル・シフラ―社長(写真中央)。
4. 初代シフラー社長時代から生産されてきたDUSYMAの代表作、幼稚園用の椅子。
5. 1980年に開発された室内用の大型家具、夢の家。多くのバリエーションがあり、幼稚園保育園で活用されている。








DUSYMA社おもちゃ製作の10の規範−クルト・シフラー氏の語録

1)おもちゃは子どものファンタジーと創作意欲を刺激するものであること。
2)自然の材質でできていること。
3)原材料と同様に技術加工、表面の仕上がり、いずれも高いレベルのものであること。
4)形や色、それぞれが子どもたちの年齢に見合い、適したつくりをしていること。
5)美しく、遊びたい気持ちにさせるものであること。
6)子どもに喜びをもたらすものであること。
7)遊びとして、教育的にも、経験的にも高い価値を提供するものであること。
8)遊びのなかで、自然界のルールを体験できるものであること。
9)耐久性があること。
10)多面的な遊びの可能性をもっていること。



現社長ルル・シフラーさんのこと

バイタリティーあふれるチャーミングな女性ルル・シフラーさんは、これまでに4度来日されています。“ルルさん”とみんなから親しみを込めて呼ばれる彼女は、大柄でおしゃれで、でも全然気取りのない明るい性格で、出会った人々を魅了します。
1981年に父親の仕事を引き継いだルルさんは、まず厳格な父親の作った堅い会社の雰囲気を明るく近代的に変えて行きました。そして同時に近代化を進めるなかでルルさんがなにより大切にしたのは、父親の理念を継承する事でした。よい玩具への認識の高さ、物作りへの誠実な姿勢は父親ゆずりだとまわりの人達が認めています。現在のデュシマ社は、メーカーとしてだけでなく、幼稚園業界の大手販売会社としても活躍しています。
ルルさんは、イタリアやイギリス、カナダなどの業界の人達と常に密接なコンタクトをとり、情報を交換しあい、世界的な視野で仕事の方向を定めると同時に、他国のメーカーの商品をドイツの幼稚園に供給する努力もしています。
また、彼女は自らのアイディアを取り入れたいくつもの商品を開発しました。例えばフェイスタッチ〈NTカタログno.C6-5〉やよく聞いて〈NTカタログno.C6-6〉などは彼女のアイディアを活かし幼稚園の現場で実験を重ねて生まれました。子どもたちの心を惹き付ける砂を素材とした砂遊びセットや色のついた石や貝殻を取り入れた工作セットなどをプログラムに取り入れ、人気商品にしたのもルルさんです。
ジーナビーズ(NTカタログno.D17-4b)やフレーベル積木のバリエーションとしての新しい積木(製品紹介ページ参照)なども彼女の発想をもとに開発されたものです。
いつも前向きでファイトに満ち、それでいて優しさも持ち合わせる彼女に、ニキティキはいつも多くの事を学んできました。現在、ヨーロッパの経済状況は日本同様に不安定なだけに、彼女が種々の困難をしっかり乗り越え、ますます良い物作りに専念していけるように、ニキティキは今後も皆様と一緒に応援してゆきたいと思っています。


クルト氏
クルト・シフラー氏

ルル女史
ルル・シフラー女史


 




 

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