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SONOR/ゾノア社
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 ・ゾノア社について

 ・ゾノア社の歴史

 ・ゾノア社のORFFシリーズ

 ・ゾノア社をたずねて 1

 ・ゾノア社をたずねて 2  

 ・ゾノア社の製品 




ゾノア社について



ゾノア社は1875年、旧東ドイツのザクセン・アンハルト州、ヴァイセンフェルス(Weissenfels)で生まれたドイツ有数の打楽器メーカー。特にドラムのメーカーとして世界にその名を知られています。創業者のヨハネス・リンク(Johannes Link 1847-1914)氏は、熟練した技術を持つろくろ細工師であり、革なめし職人でした。 ゾノア社は太鼓用の革や軍楽のドラムを作る小さな工場として始まり、その後1900年代には、さまざまな打楽器を作るメーカーとして発展していきます。その後創業者の息子、オットー・リンク(Otto Link 1884-1955)氏も経営に加わり、1925年には145人の働く、当時の楽器メーカーとしては大きな企業へと成長しました。第二次大戦後、ドイツが東西に分断され東独側に位置していたゾノア社は一時、国有の会社となりましたが、オットーの息子であるホルスト・リンク(Horst Link)氏はいち早く情勢を察知し、1946年に西側へ移り、新たな打楽器工場をノルトライン・ヴェストファーレン州(Nordrhein-Westfalen)のバート・ベルレブルグ-アウエ(Bad Berleburg-Aue)に建設、今日に至っています。

1953年にカール・オルフ(Carl Orff 1895-1982)氏の音楽理論に則して開発された子どものための楽器シリーズ『ORFF/オルフ』で、プログラムの幅が広がりました。鉄琴や木琴、マラカスやタンバリンなど打楽器を多く手がけています。(下段:オルフシリーズについて参照)ニキティキでは子どもたちにはじめて出会ってもらいたい楽器として、この音程のしっかりしたシンプルなオルフシリーズを紹介しています。また、ゾノア社では音楽療法士などと協力し、独自のセミナー形式の音楽教育プログラムなどを開催しています。

最新の技術を駆使しながらも、130年以上変わることのない楽器に対するこだわりから生みだされるゾノア製品は、現在も世界の多くの音楽家に支持され約80カ国で販売されています。

1991年からは同じくドイツの楽器メーカー、ホーナー(Hohner Musikinstrumente GmbH and Co. KG)社の一部門となりましたが、製品の美しさと堅牢さに対するゾノア社のこだわりは、創業以来今日にいたるまで変わっていません。数年前からゾノア社の社長は、ステファン・アルトホフ(Stefan Althoff)氏とカール-ハインツ・メンツェル(Karl-Heinz Menzel)氏になりました。


SONOR社のWEB SITE
SONORMUSEUM SITE




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1. 創業者のヨハネス・リンク( Johannes Link)氏
2. オットー・リンク(Otto Link)氏
3. ホルスト・リンク(Horst Link)氏
4. カール-ハインツ・メンツェル(Karl-Heinz Menzel・左) 氏と、ステファン・アルトホフ(Stefan Althoff・右) 氏

画像 © SONOR








ゾノア社の歴史



1875年

東ドイツ・ザクセンアンハルト州のヴァイセンフェルス(Weissenfels)で設立。ろくろ細工師であり、革なめし職人でもあった創業者のヨハネス・リンク(Johannes Link)は、自身の技術をベースに打楽器製造のための小さな工場を設立。最初は太鼓用の皮や軍隊用のシンプルなドラムを製造していた。

 

1878年

業務拡大のために工場を同じヴァイセンフェルスのライプツィヒ通り(Leibzigerstrasse)に移転。その後10年間に会社の規模は拡大し続ける。


1900年

製品品目が増加し(ティンパニー、コンサートドラム、シロホン、シンバル、トライアングルなど)、従業員数が53名に。


1907年

ミュンヘンの特許局にゾノア社の商標を登録(最初のSONORロゴマーク 図 A)。春のライプツィヒ見本市に楽器を出展。


1914年

創業者ヨハネス・リンク死去。息子オットー・リンク(Otto Link)が後継者となり、第一次世界大戦、世界恐慌など困難な時代を乗り越え ゾノア社はドイツ最大の楽器メーカーに。


1917年

楽器作りの街、マルクノイキルヒェン(Markneukirchen)に第二の工場を設立。


1919年

ライプツィヒ通りにあった本社工場が火災で焼失。ヴァイセンフェルスのアムバート(Am Bad)に土地を購入し、工場を建て直す。以後数年間にゾノア社はヨーロッパ最大の打楽器メーカーに。規模が大きくなっても会社のモットーは設立当初から一貫して「品質第一」 。


1925年

ヴァイセンフェルス工場の近代化を図る。敷地を追加購入し、規模を拡大していく。従業員数は145名に。ジャズの流行とともに新しい楽器を求める声が高まる。ゾノア社 初のドラムセットが誕生。


1930年

ジャズ用楽器の専用カタログ 発行。ゾノア社は業界で「世界最高のパーカッションメーカー」と評価されるようになる。


1946年

第二次世界大戦後 旧東ドイツ政府は個人財産の没収をはじめる。ゾノア社も国有化の対象となり、社の存続が危ぶまれたが、リンク一家は、三代目ホルスト・リンク氏の機転で、間一髪のタイミングで西側への移住を果たした。当時イギリス領だった西ドイツ、ノルトライン・ヴェストファーレン州(Nordrhein-Westfalen)のバート・ベルレブルグ-アウエ(Bad Berleburg-Aue)にドラムヘッド製造用の小さな工場を立ち上げる。その後 ドラムの種類が徐々に増えていく。1950年になってやっと、まだヴァイセンフェルス工場に残っていた父親を呼び寄せることができた。


1952年

トレードマークの変更。(図 B)


1953年

アウエの工場で1953年からオルフ音楽教育(オルフについて参照)のための楽器の製造を開始。


1955年

オットー・リンク氏死去。息子、ホルスト・リンク(Horst Link)がゾノア社の再建を誓う。
ホルスト・リンク社長の代にコマキ楽器、松尾楽器を通してゾノアの楽器は日本の音楽業界に広く紹介され、今日に至っている。


1956年

100頁のカタログを発行。内容は ドラム/ドラムセット/クラシックコンサート用打楽器/学校の教材用楽器 など。著名なミュージシャンがゾノア社製の楽器を愛用しはじめる。 なかには楽器の研究開発を援助するミュージシャンもあらわれ ゾノア社は世界有数のドラム製造会社の地位をとりもどす。 ホルスト氏の経営のもと ドラムセットの逸品が誕生していき、 10年間保証などの制度と共にゾノア社の評判をさらに高めていった。


1961年

バチを2本あわせたロゴを、ルフトハンザ航空のロゴなどを手がけた著名なデザイナー、オトル・アイヒャー(Otl Aicher)がデザイン。(図 C)


1975年

現在のSONORトレードマークが完成。(図 D)


1976年

ニキティキはゾノア社のオルフシリーズ(鉄琴、トライアングルなど)の日本の玩具市場での販売をまかされる。


1988年

ドラム専門雑誌にSignatureシリーズが取り上げられ「現在手に入るスネアドラムのなかの最高品」と評価される。


1990年代

トップミュージシャンたちからのアドバイスも多く寄せられるようになる。 また、ドイツ技術協会(German Federal Institute of Technology)との協力のもと、使用する材料や音の品質に関する研究開発を積極的に行い、品質の高い製品作りに活かされた 。


1991年

ゾノア社はホーナー社の一部となりゾノア社製品の国際的な販路が拡充される。


2000年

ゾノア社創業125周年。ヴィンテージドラムを開発。


2010年

ゾノア社創業135周年。5月に「ゾノアの日」イベントを開催。2日間で5000人が訪れた。





 《 SONOR ロゴの変遷 》





 A.1907年





 B.1952年






 C.1961年










 D.1975年




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1. ヴァイセンフェルス(Weissenfels)のライプチツィヒ通りの工場 1888年
2. アムバート(Am Bad)の工場 1919年
3. 1899年のカタログ
4. 第二次大戦後の占領時代のドイツ地図 1945年 赤い丸印右がヴァイセンフェルス(ロシア領)、左がアウエ(イギリス領)
5. バート・ベルレブルグ-アウエ(Bad Berleburg-Aue)の工場 1946年

© SONOR

 


 




ゾノア社の"ORFF"シリーズ


オルフシリーズとはドイツの作曲家・音楽教育者であるカール・オルフ(Carl Orff 1895-1982)氏の考えに則った楽器。オルフが社会に提唱した「ムジカ・ポエティカ」の楽曲に使用される楽器をゾノア社は、1953年からオルフシリーズとして開発してきた。オルフは音楽教育の中でまずリズムに重点を置き、そのためには、リズム表現にふさわしい、音色に優れた、しかも扱いやすい、素朴で身体の動きに結びついた楽器がふさわしい、と考えた。たとえばオルフが考案したメタルフォンやシロフォンでは鍵盤を外せるような工夫がなされている。これは、使用しない鍵盤をとりのぞく事でペンタトニックなどに音階を限定し、子どもたちがどのように弾いても音楽を楽しむことができるように、との配慮からである。 成長のレベルや音楽のジャンルに関係なく、子どもたちの音楽活動を励まし育んでいく打楽器、オルフシリーズ。 著名な音楽教育者やセラピストたちと協力しながら、ゾノア社は今日にいたるまで子どもたちの様々な音楽シーンに活用されるオルフシリーズの楽器を開発し、作り続けている。


《ゾノア社の教育活動》
ゾノア社はオルフシリーズなどの楽器を開発すると同時に、楽器を使用した情操教育にも力を注いでいる。1980〜1990年代にかけて、IGMF*という音楽による教育普及協会を運営。打楽器だけでなく、ダンスやセラピーなど約40のプログラムには世界中から子どもや教育者など幅広い参加者が集まった。その後、IGMFのインストラクターでもあった(現在は名誉会員)クラウス・バン(Claus Bang)氏による、聴覚障害者、体の不自由な青少年の治療のための、音声療法や、ミュージカル、オーケストラなどのプログラムに協力。現在はウォルフガング・シュミッツ(Wolfgang Schmiz)氏と組んで、主にドイツ語圏の国々(ドイツ、オーストリア、スイス)にてオルフ音楽をテーマにしたセミナーを、年間約80回開催している。セミナーの主な対象は指導者や教師など教育に携わっている人々で、彼らが仕事を休むことなく参加しやすいように、ゾノアのスタッフが様々な都市に出向き、ほとんどの場合、平日の午後に開催するという形式をとっていることも、広く普及した要因の一つ。 上記三カ国の他にもオルフ音楽教育に携わる団体のある国々で企画がある場合には、リーダーとなる人材の選出をはじめ応募方法やプログラム構成などに関するアドバイスを行っている。

* IGMF (Internationale Gesellschaft für musikpädagogische Fortbildung e.V.= 財団法人 国際音楽教育推進協会の略)




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1.  オルフシリーズ
2.  オルフアンサンブル練習風景 
3.  IGMFパンフレット 1987年
4.  クラウス・バン(Claus Bang)氏
5.6. クラウス・バン氏のセラピー風景

画像 2..© SONOR 4.〜6. http://www.clausbang.com/





 










ゾノア社をたずねて  1


2010年2月、恒例のニュルンベルク玩具見本市での仕事を終了した後、新任の輸出部長からのご招待を受けて、ニキティキスタッフ4名はノルトライン・ヴェストファーレン州に位置するゾノア社を訪ねることになった。フランクフルトから150kmほど北に位置するゾノア社には、予定では午前中に到着するはずだった。しかし、あいにくの大雪のためアウトバーンは渋滞、さらに道路工事でゾノア社のある街に入るルートが分断されていたため、早朝ニュルンベルクを出発したにもかかわらず、予定より大幅に遅れての到着になってしまった。打楽器メーカーとして世界有数のゾノア社のあるバート・ベルレブルク-アウエ(Bad Berleburg-Aue)は、まわり一体を山に囲まれた大自然の中にある小さな街。ようやくたどり着いた街の中心部を車で走り抜け郊外に入ると、ゾノア社が目の前に。 社内を案内された私達は、まずその規模の大きさに目を見張った。大きな工場とそれに続く倉庫、そして小さな展示室と、現在生産している楽器が沢山置いてあるホール、整然とした事務所。特に、商品ストック用の倉庫の、これまで写真などを見て私達が想像していたものより数段大きなスケールには、圧倒された。

通常、工場は毎日14時までの稼動。時間までに到着できず残念だったが、それでも充分に見応えのある工場だった。工場が稼動していたら全て見るのに何時間かかったのだろう…。従業員の方達には、音楽実技や音楽教育を勉強した人がやはり多いとのこと。内輪でアンサンブルを組んで演奏活動を楽しむこともあるらしく、社内は明るくアットホームな雰囲気。社長のメンツェル(Menzel)氏も社交的で親しみやすい方だった。工場内は、材料の保管方法や、作り方、チューニングの手順など、すべての点において、とても整然としている印象。特に、完全な正確さを求められる調律室では、これまでいくつか見学した玩具メーカーとは違った空気を感じた。チューニングを一つ一つ手作業でおこなっている作業場を実際に目で見て、ゾノア社メタルフォンの商品価値の高さを再確認した。ニキティキが長年扱ってきたメタルフォンのシリーズは、玩具ではなく小さな楽器、初めて出会う楽器と日頃から私達が顧客に伝えてきた事が間違いでなかったと、改めて確信できる生産現場だった。

工場見学の途中、会社の歴史の話になり、もともとはザクセン・アンハルト州にあるヴァイセンフェルス(Weissenfels)に会社を設立したが、東西ドイツ分裂の混乱の時代に、西へ移ってきたということを知った。ゾノア社と暗いドイツの歴史は無縁な気がしていたが、実はここにも、歴史の証人となる取引メーカーがあったのだと初めて知ると共に、その混乱を乗り越えて継承されてきたもの作りの精神から生まれてくるゾノア社の製品を、今後も大事に扱っていかなければと思った。 ニキティキが1976年から35年来日本で広めてきた赤い鉄琴シリーズは、土台の部分のデザインと止め具のパーツのデザインが、少し途中で変更されたが、1枚1枚調律されている鍵盤のつくりは全く変わらず、ゾノア社の中でも、長年のヒット商品の一つとの事。ニキティキはこれからもこのシリーズを自信をもって、日本中に広めていきたいと改めて思いながら、充実した一日の見学を終えた。 MT記


*ゾノア社 楽器資料館 (下段写真)
本社の向かいの建物の中に、ゾノア社の主力商品と歴代の楽器の資料が保管・展示され、訪問者に開放されている。





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1.  ゾノア社 社屋 2010年
2.  ゾノア社 全景 
3.  ゾノア社輸出部の方々 2010年 (右端はメンツェル社長)
4.  ドラムいろいろ 1930年〜50代
5.  ペダルいろいろ
6.  メタルフォン 1890年
7.  メタルフォン 1950年

画像 © NIKI TIKI (2.のみ© SONOR)














ゾノア社をたずねて  2
ゾノア社工場とメタルフォン製作工程


いつもきちんとした製品と梱包で、クレームもほとんどないメーカーであるゾノア社はどんなところか興味をもっていた。その工場は、広いスペースの中に使い込まれた大型機械が整然と並ぶ、昔ながらのドイツの工場といった貫禄の一方、最新の様々な技術がうまく取り込まれた、バランスのとれた現場という第一印象。生産途中の雑然とした中にも、作業場の隅々まで目が行き届いており、生産現場の緊密さは、製品に通じていると思った。安易な物づくりが主流であるこの時代に、ドイツで鍵盤一つ一つを人の手で調律しているというのは、やはり改めてすごい事だと思った。案内をしてもらう言葉の端々から、今回お会いしたゾノア社の人達が皆それぞれ自社の製品に高い誇りをもって仕事をしているのが伝わってきた。現場の人の意識の高さ、生産の現場を実際に目の当たりにすることで、ゾノア社製品に対するさらなる敬意と信頼を深める機会となった。その工場見学の一部を以下にまとめてみたい。 AS記

工場の稼動時間=午前6:15〜午後2:00  従業員=約90人
子ども用の楽器からプロの演奏家のための楽器まで、幅広い商品プログラムをもつゾノア社。 半製品、素材、完成品、仕入品すべての金具/金属部品のストックは、全部で29,000種類にのぼり、世界13ヶ国・120社の仕入先から調達している。(ちなみに棚卸しには一週間かかるとのこと)


■シロフォン(木琴)
木琴や鉄琴に使用される木製の土台は、高品質ラインはドイツで製造し、中級ラインはポーランドで生産している。ただし鍵盤の生産と調律、組み立てと検品・梱包まで、品質管理は厳しい管理のもと、すべてドイツの工場で行われている。その他、一部の低価格シリーズは中国の会社と提携して生産している。ゾノア社では、木琴の大きなサイズの単音シリーズを手がけており、学校での音楽教育をはじめ、福祉施設などでの訓練、 音楽セラピー、老人ホームなどで広く使われている。サイズが大きいことによるメリットは、 <音が振動から生まれるということが体験から理解できる> <楽器を横にしたり、打つ場所を変えてみたり、様々な角度から音を体験できる> <思い切りたたいてもよい> <単音ずつで楽しめる>などが挙げられ、年々需要が増えているとのこと。 

木琴やマリンバなどのの鍵盤に使用している木材は以下の3種
・ ローズウッド(rosewood) ブラジル産(最高級)・パオローザ(pao rosa) アフリカ産 ・スクピラ(sucupira) ブラジル産(廉価)
よい音質を得るためには、時間をかけて木を乾燥させる手順がとても重要となる。 だいたい25%の含水率をもつ木材を、4-6週間かけて6-7%になるまで乾燥させる。 一方、木琴の鍵盤には、木材ではなくガラス繊維でできたパリソノ(Palisono)も広く使われている。ローズウッドのような音で、かつ気候の影響を受けることなく音質が安定しているため。


■ドラム
ドラム製品は、ゾノア社の原点であり、看板商品である。顧客の好みに合わせてフルオーダーできる 「SQ2」シリーズ、演奏家のためのスネアドラムなどは、デザインから製作まですべて一貫してドイツ工場で生産されている。生産の各段階で検品が行われ、専用の検品室で一つ一つ調整される。 ゾノア社のドラム筒(シェル)に使用される主な木材は、カエデ・ブナ・カバなどの合板で、SQ2のドラムにのみアクリルが使用される。ドラムの音質を左右する重要なポイントの一つは、エッジの角度にある。ドラムの皮がよく振動するよう45度に削られる。組み立て前の最後の仕上げは、シェルの表面加工。 ろくろの機械に取り付け、ヤスリがけとラッカーの吹付けを何度も繰り返し、ガラスの様に磨き上げる。


■メタルフォンNGシリーズの製作工程

鍵盤の加工 チューニング 土台の加工工程 セット組・検品・梱包
一台の機械で、メタル板のカットから穴あけまでを行う。 男性が担当し、加工の一方でメタルの硬さ、長さが正しいかの 確認をする。7ヶに1ヶ実際に叩いて検品する。同じメタルでも音が変わる。
写真 1・2・3
カットしたメタル板は、 塗装ボードに一つ一つ吊し、色付けする。 その後、専用の乾燥機で160度25分乾かす。


 

専用のチューニングブースがあり穴を彫るたびにマイクで音をひろい、機械で音階をあわせる。鍵盤の裏には、調音した際の小さな削り跡がある。 1人で、1時間作業して約400枚できあがる。
写真 4・5・6


 
木材を粗くけずって表面加工をする。 この際にみつかるひび割れ、節などで製品に使えない資材は、工場の暖房用燃料として使用。再度、表面を削りながら仕上げ、機械で必要な穴をあける。美しい反響音がでるように、土台の中にいくつもの仕切りがある。 一番よい音が出るのに適当な空間(仕切りの位置)は手で音を探しながら決められている。
写真 7


土台に鍵盤を取り付けてから、もう一度音階が正しいか検品する。仕上がり段階で音が変ることがある。 土台自体もきちんと接着されているかチェックした後、各々部品を添え箱に入れて完成。
写真 8・9


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