エルツ山地のおもちゃ作り中で世界に類を見ない技法、ライフェンドレーエンが開発され、発達しました。 ライフェン(Reifen)とは輪のこと、ドレーエン(Drehen)とはドレクセルン(Drechseln)=回しながら加工する、という意味で、日本ではこけしやお椀作りでみられるろくろの木工技術から発展した独自の技法です。2011年現在、その技術を持っている職人の数は8人。うち5人がフリーで製作、工房を構えているのは、クリスチアン・ヴェルナー工房を含め、2軒しかありません。ここではライフェンドレーエンの歴史と具体的な作り方をまとめてご紹介します。


《ライフェンドレーエンの歴史》

ライフェンドレーエンが発明され、実際に使われるようになったのは何時なのかはっきりしたことはよくわかっていません。ライフェンドレーエンは1800年以降に知られるようになった、ザイフェンとその周辺の村にしかない木工技術です。

1700年ごろから皿や、糸巻きなどを作るろくろ細工は「洒落ている」と評判で、上流階級に人気があったようです。「スウェーデンやデンマークの王家、ロシアの皇帝もろくろ細工を楽しんだ。」と1756年にろくろ細工職人のヨハン・マーチン・トイバー(Johann Martin Teuber)が書いています。ところが、ザイフェンで発展していったライフェンドレーエンの技術については記述が見つかっていません。1750年ごろにはライフェンドレーエンの技法がまだ使われていなかったという説もありますが、この技法を隠しておきたかったトイバーがあえてそのことに触れなかった、ということも考えられると言う人達もいます。クリスチアン・ヴェルナー氏によると、ライフェンドレーエン職人の数は、1920−30年の全盛期で28人だったということです。

ライフェンドレーエンのはじまりに関して正確な資料はありませんが、1803年の玩具カタログ(Bestelmeiermagazin) のなかに商品ナンバー515番として街のような図版が掲載されていて、「10軒の家を並べると半円になる」との説明があるところから、この製品はライフェンドレーエンの技法で制作されたものではないかと推察されています。一番古いライフェンドレーエン技法について書かれた記述は1810年、ドレスデンで見つかっています。これによると、ライフェンドレーエンで作られた最初の製品は「街の家々」、さらには高い技術が必要な「動物」だった、とあります。しかし、ライフェンドレーエンの技法がはっきりと公に記されたのは1837年、ザクセン王国の資料のなかで報告されたものでした。

ライフェンドレーエン技法のはじまりについては2つの説があります。 エルツおもちゃ博物館の館長だったヘルムート・ビルツ(Hellmut Bilz)は、この地方で広く行われていたろくろ加工の技術が徐々に変化していったものだという説をとなえています(1970年)。 最近、ガラス製品の製造方法から来たものではないかというもうひとつの説がでてきました。この地方には古くからガラスの製造が盛んに行なわれていて、製品を作る際にぬらした木製の型のなかにガラスを流し込む方法がありました。19世紀の前半にガラス産業自体は衰退し、多くのガラス職人はこの地を去っていきました。しかし、この木製のガラス加工用の型をろくろで作る職人たちは、たくさんの型を作るうちに、ものの形を想像し、それを生みだすための型と製品との関係を感じ取る感覚を身につけていたと思われます。ろくろ加工の技術と木型についての感性が合致し、職人たちが生みだしたのがライフェンドレーエンの技術、というわけで、ライフェンドレーエンがガラス製造に端を発しているという説になったのです。

ライフェンドレーエンは、正式に徒弟制度のある職業(Lehrberuf)としては認められていませんが、その技術はライフェンドレーエンの職人からしか学ぶことができません。 先述のヘルムート・ビルツはライフェンドレーエンの技術や職人たちのおかれていた地位や環境について研究。さらには製品、特に動物を体系的に分類し(たとえば動物の種類、動物など)まとめています。 そのビルツがライフェンドレーエンの技術の最高峰はノアの方舟に集約されていると言っていますが、それは今日も変わりないことが、クリスチアン・ヴェルナーのノアの方舟の、たくさんの動物達(このページトップの作品)を見るとあらためて実感できます。

クリスチアンはこのライフェンドレーエンの技術を、以前ザイフェン野外博物館の水車の所有者だったポール・プライスラー(Paul Preissler)に学び、現在では押しも押されもせぬ、第一人者となり、メディアを通じて広く紹介されるようになりました。


 

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1.2. 1803年の玩具カタログ(Bestelmeiermagazin )  『Holzspielzeug aus dem Erzgebirge』1991年 Christoph Grauwiller著より
3.ヴァルター・ヴェルナーさん製作のライフェンドレーエン工房のミニチュア  
『Seiffen in acht Jahrhunderten(ザイフェンの800年)』2007年Verlag Klaus Gumnior社刊 より






《ライフェンドレーエンの動物ができるまで》

一般のろくろ旋盤(ドレーエン)加工は、木材を縦方向に切断して使用するのに対して(注:こけしのような作り方)、ライフェンドレーエンの場合は木材を横に輪切し、円盤状にしてから加工します。 まず森から、制作に適した木を選ぶ事からその作業は始まります。選んだ樹木(トウヒ)は輪切りにされ、作業に入る前には、水につけておきます。トウヒは針葉樹で、木質は本来やわらかいのですが、ろくろ作業中に、割れ目が入ったり硬い木片が飛び散ったりするのを防ぐため十分に湿気を含ませます。まず、作るモチーフに適した直径の、トウヒの輪切りをろくろにセットし、それを回転させながら外側から刃物で切り込んでゆきます。加工は製品の下側になる部分から行い、済んだら裏返し、下側と同じように上側を削ります。 始めてその作業を見学する素人には、職人が何を削り出そうとしているかを当てるのはほとんど不可能です。削り始めて間もなく、リング状の動物が完成。ろくろから取り出されます。(ろくろにはリングを削りだした後も、まだ直径が小さくなった木が残っています。それは小さい動物や、小さい部品を削りだすときに使われます。)取り出されたリング状の木に、ケーキを切り分けるように中心から放射状に、ナイフで垂直に割れ目を入れると初めて動物の側面があらわれます。見学者があっとおどろかされる瞬間です。

一つの輪(ライフェン)から、通常60個の動物が切り出されます。この一つ一つをナイフややすりで形を削り、表面を整えたら全体像が出来上がり、それに、別に切り出してある部品(例・耳や尾)を加え接着、最後に全体の地色を、何体もまとめて色づけし、そのうえに、それぞれの動物ごとに一体ずつ手描で色付けが施されて、やっと出来上がりです。技術を要するそれぞれの過程は、小さな工房では主に家族が分担。今ではスタッフも加わっての共同作業です。簡単ではありませんが、一つの木片から動物を彫りだす従来の木彫りの動物作りよりは、ずっと効率的で、一度に同じ動物がたくさん出来上がる量産なので、経済的にも優位な技法として発達しました。

現在美術館などに残っている古い資料の、ライフェンドレーエンで作られた動物たちの素晴らしさからも、ザイフェンの職人たちの豊かな創造力を伺い知ることができます。 職人たちは腕を競い合い、それぞれの動物に独自の形を与えるようになっていきました。テーマは同じでも、作品を見ればその特徴から作者がわかると言われています。ザイフェンの玩具博物館にはおもちゃの家内工業の様子が展示されています。また、野外博物館では、水力で回転する18世紀のライフェンドレーエンの機械が保存されていて、ライフェンドレーエンの実演を見ることが出来ます。


→クリスチアン・ヴェルナー氏のライフェンドレーエン工房(YOUTUBE動画)




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1. トウヒをろくろにセットし、輪に削りだす
2. 断面(馬)
3. ディスプレイサンプル



参考文献:
・Ehrhardt Heinold und Alix Paulsen ,
Erzgebirgisches Spielzeug-ABC, Husum Druck-und Verlagsgesellschaft mbHu.Co.KG,2002
・Christoph Grauwiller,
Holzspielzeug aus dem Erzgebirge,Liestal,1991
・Konrad Auerbach,
Erzgebirgisches Spielzeugmuseum Seiffen Museumsfuehrer,Erzgebirgisches Spielzeugmuseum Seiffen,2000.  
・http://www.alte-salzstrasse.de/






 

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