Kaethe Kruse/ケテ クルーゼ社
ドイツ

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 ・ケテ クルーゼ人形の誕生 

 ・ケテ クルーゼ社の歴史 

 ・ケテ クルーゼ社のこだわり・特長 

 ・ケテ クルーゼとニキティキ 

 ・バート・ケーセンのケテ クルーゼ美術館 

 ・ケテ クルーゼ社製品の紹介 

ケテ クルーゼ人形の誕生

「私もお母さんみたいに赤ちゃんが欲しい!」 3歳になるミメーレ(Mimerle)が母親のケテ・クルーゼ(Kaethe Kruse)にこんなお願いをしたのは1905年のクリスマスの頃でした。小さな妹のフィフィ(Fifi)をお風呂にいれたりあやしたりしている母の姿を見て、自分も同じように赤ちゃんの世話がしたくてたまらなくなってしまったのです。そんな娘の願いを叶えようと、彫刻家の父親マックス・クルーゼ(Max Kruse)はケテにこんな提案をします。「街で売られている人形はどれも固くて冷たくてまったく暖かみが感じられない。子どもにこんな人形を僕は与えたくない。いっそのこと君が自分で作ってみたらどうだい?」 そこでケテ・クルーゼ夫人は娘のために人形を作りはじめました。布でつくった胴体の中に砂を入れ、頭部はじゃがいもを用い、目鼻は燃やしたマッチ棒の軸で描きました。そしてクリスマスの朝、ツリーの下に置かれた人形を見つけたミメーレは大喜び。 オスカー(Oskar)と名付けられたこの人形こそケテ クルーゼ人形の第一号だったのです。しかしじゃがいもは腐りやすく人形はなかなか長持ちしません。どうしたら長く遊べる人形ができるのかと夫人は新しい工夫と改良を次々と重ねていきます。
1910年、ケテ・クルーゼ夫人は自分が作った人形をベルリンのデパートで開かれていた手作りおもちゃ展に出品します。ここで彼女の人形は評判となり、人形業界に大きな革命を起します。当時の人形は陶器で作られているケースが多く、子どもが玩具として遊ぶにはあまり適しているとは言えませんでした。そんな中でケテ・クルーゼの温かみのある布製の抱き人形は、子ども達にはとても身近に感じられるものだったのです。こうしてケテ クルーゼ人形は世にでていくきっかけを掴んだのです。

  

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1914年頃のクル−ゼ一家

ケテクルーゼ社の歴史

1883

創設者であるカテリナ・シモン(Katharina Simon)、後のケテ・クルーゼ夫人がボーランド南西部ブロツワフ(Breslau)で生まれる。

1900

カテリナ・シモン女史、ブロツワフで女優になるためのレッスンを積み、ベルリンのレッシング劇場(Lessing-Theater)にて初舞台を踏む。(写真 1)

1901

30歳年上の彫刻家マックス・クルーゼ(Max Kruse)氏と知り合う。長女誕生。
スイス、イタリアを経てドイツのミュンヘンに移り住む。1904年には次女誕生。

1905

クリスマスに長女のためにジャガイモで人形をつくる(写真 2)。この人形がケテ クルーゼ人形の第一号で、後のケテ クルーゼ人形の原点となる。4年後3女が生まれ、一家はベルリンに居を構える。

1910

人形の初シリーズの製作をはじめる。ベルリンのデパートで開催された「手作りのおもちゃ」展で発表し、好評を博す。人形の頭部に関する特許を取得。

1911

Kaemmer Und Reinhardt社とライセンス契約を結び、ケテ クルーゼ人形が市場に出る。
アメリカから150体もの人形の注文が入る。長男が生まれる。

1912

ドイツ東部バート・ケーセン(Bad Koesen)に移り住む。住居の一階に人形の工房を構える。次男誕生。2年後の1912年には人形の胴体構造の特許を取得。

1915

ポツダムに移る。1918年に3男1921年には4男が誕生。

1923

バート・ケーセンに再び戻り、寄宿学校跡に工房と住居を構える(写真 3)。

1933

次女ソフィがショーウインドウ用の等身大人形を開発し業界で話題となる(写真 4)。

1937

ショーウインドウ人形がパリ世界万国博覧会でゴールドメダルを受賞。
第二次世界大戦中、工房では塩化ビニール製の靴も生産していた。

1942

夫マックス・クルーゼ氏が永眠(享年88歳)。1944年までに次男、3男を相次いで戦争で失う。

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1945

4男がドイツ西部ハノーファーに近いバート・ピルモント(Bad Pyrmont)に第二工房を設立。

1947

長男が現在のケテクルーゼ社のあるドナウヴェルト(Donauwoerth)に工房を作り、翌年にはバート・ピルモントの工房を併合。

1950

ケテ・クルーゼ夫人がバート・ケーセンを離れる。東西ドイツの分断により東独に属したのでバート・ケーセンの工場は国営企業となる。1951〜1967年までケテ クルーゼ人形の生産を請負う。(但し、人形製作の仕上げは1961年からドナウヴェルトの工房でなされた。)

1952

3女ハンネ(Hanne)とハインツ・アドラー(Heinz Adler)夫妻がドナウヴェルトの工房の芸術部門、及び技術部門を引き受ける。

1955

Schildkroet社と協力してケテ クルーゼ人形の普及版が製作される。普及版はゴムとセルロイド製。

1956

ケテ・クルーゼ夫人がドイツ連邦共和国(旧:西ドイツ)より勲1等紅十字勲章(Bundesverdienstkreuz 1.Klasse)を贈られる。

1957

Kaethe Kruse Puppen GmbH(株式会社)となり、ハインツ・アドラー氏が社主となる。この年三女ハンネは、体にワイヤー(針金)入れた新しい構造の人形モデル Daeumlinchen を発表。その後引退までの間に多くの人形やぬいぐるみを開発する。
ケテ・クルーゼ夫人は長女と共にミュンヘンに移り引退。

1967

赤ちゃんや小さな子どものためのタオル地でできたおもちゃが登場、成功を収める(写真 5)。

1968

7月19日、ケテ・クルーゼ夫人、ムルナウ(Murnau)にて永眠(享年84歳)。ミュンヘン郊外のエーベンハウゼン(Ebenhausen)の墓地に埋葬される。

1981

1981年 ハンネ、約20年振りに新しい人形モデル Mummelchen を発表(写真 6)。ベロア地を使用した暖かみのあるベビー人形は小さい子にも遊びやすいと評判になる。(1991年からは木綿を使用。2001年まで製造される)

1990

会社の経営権をアンドレア・カトリン(Andrea Kathrin)氏とその夫のステファン・クリステンソン(Stephen Christenson)氏に譲渡。ぬいぐるみや指人形、玩具等も展開。翌1991年、Berling社を傘下に入れ、あやつり人形など木製玩具も取り扱うようになる。

1993

ケテ クルーゼファンクラブの発足。コレクター向けに復刻版人形の限定頒布をはじめる。

1996

ハインツ・アドラー氏永眠。2002年にはハンネ・アドラー ・クルーゼ夫人(写真 7 は晩年のシールぐまを抱くハンネ・アドラー夫人)永眠。

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ケテ クルーゼ社のこだわり・特長



 

■手作りへのこだわり

1911年、Kaemmer und Reinhardt社はケテ・クルーゼ夫人とライセンス契約を結び、人形をつくりますが、あまり成功しませんでした。そこで夫人は自らの手で人形をつくることを決心します。自宅を工房にして、1人の画家と5人のお針子と共に夫人の人形づくりは本格的にスタートします。アメリカから入った150体という大口注文にも、1体1体愛情を込め、手作りで応えたのです。
ケテ・クルーゼ夫人の変わらぬ信条、それは「手作り」へのこだわりでした。『手のぬくもりは心に必ず通じるものであり、それが一番シンプルに形に表せるものとして「人形」ほど説得力があるものは他にない』と彼女は力説しています。又、『人形は愛情を呼び起こすことができる不思議な力がある』とも言っています。
ケテ・クルーゼ夫人が人形をつくりはじめてから100年経った今日までその哲学は守られ続けてきました。


■ケテ クルーゼ人形の特長

ケテ クルーゼ人形には創業以来さまざまなモデルが発表されており、材質や構造も100年の間に改良されています。モデルによってサイズや顔の表情も異なっており、コレクターが世界中に多くいる人形としても有名です。

人形にはそれぞれ名前が付けられており、ミメーレ(Mimmerle 写真1)やフィフィ(Fifi)、フリッツ(Flitz)そしてヨッケーレ(Jockerle)などケテ・クルーゼ夫人の子どもたちの愛称がついたものが数多く見られます。毎年発表される人形の洋服や髪形は毎年変わりますが、ミメーレだけはケテクルーゼ人形の象徴として当初の雰囲気をそのまま残して作り続けられています。

頭部は当初、顔には肌色のラミー織り(イラクサの繊維で織った丈夫な平織)が使用され、中身にはシカの毛をつめていました。1955〜1960年にかけて顔はセルロイドに変わり、1960年からは徐々にポリスチレン樹脂材へと移行、これによって油性絵具が使用できるようになり、水に濡れても色が落ちず重ね塗りもできるようになりました。顔は丁寧な手描き。中でも目は重要で、描くことを許されている職人はほんのわずか、瞳を描くには最低2年の修業を要すと言われています。頭部と体ははじめ、縫い付けられていましたが、1929年から首の空洞部分に回転玉をはめ込むことによって頭を回転させることができるようになりました。
髪の毛は手作業で毛を1本ずつ下地の布に針で植えつけてかつらをつくってから頭部に縫い付けます。体は「柔らかく抱くと温かみが感じられ、子どもの遊びに適しながらも重みを持たせた人形」として、その要求に応える素材である布地が用いられています。
35cm以上の人形には腰に円盤状の関節があり、34cm、25cmのタイプは体の内部にワイヤーが入れてあります。それによりケテクルーゼ人形は体を思い通りに動かすことができます。

洋服も素材はもちろんのこと、製作においてもクオリティの高さと完璧さにおいて他の追随を許さず、細かい刺繍が施されたベストや模様が美しいプリーツスカート、麦わら帽子やオールドスタイルのニッカーボッカーズなど本格的。コレクターも多く、戦前などに作られた人形や洋服は人気があるとの事。

ケテ クルーゼ人形の病院(修理工房)もドナウヴェルトにあります。世界中から届けられる壊れた古いケテ クルーゼ人形が新しい髪や手足をつけてもらい、また持ち主のところへ元気になって戻って行きます。


■ケテ クルーゼの試み

  

1925年、産婦人科の依頼を受けてケテ・クルーゼが作った、まるで本物と見間違うような赤ちゃん人形Traeumerchen(写真2)。これは病院で看護士が実習時に使うために作られたもので、本当の赤ちゃんとほぼ同じ重さになるよう体の中には砂入り。まだ据わっていない赤ちゃんの首をしっかり手でささえる練習ができるよう、頭にも重みを持たせて、おへそもきちんとついています。とても画期的なこの育児人形はセンセーションを巻き起こし、人形や玩具業界のみならず教育界やBazarなどの女性雑誌でも大きく取り上げられました。看護士や保育士、そして母親学級の女性たちはこの人形を使って抱っこや授乳の仕方、そしてお風呂の入れ方を学習することが出来ます。育児人形は現在もミュンヘンにある赤十字病院で活躍していると聞いています。残念ながらこの十数年来、この人形の生産は中止されています。


■ケテクルーゼ・クラシック人形

  

2005年春に発表されたケテクルーゼ・クラシック人形は以下のとおり。
この中には1990年以降新しくプログラムに加わったものも数多く含まれています(☆印)。
 

サイズ シリーズ名 初製作年 備考
54cm
Lolle 2005
52cm Puppe VIII 1929
48cm Bambina 2003
47cm Puppe XII 1932

42cm Glueckskind 1931
41cm Elea/Sophie 2001
40cm Pummelchen 1995
36cm Mini Bambina 2004
35cm Puppe IX 1929
34cm Schummelchen 1991
32cm Liebeskind 2005
30cm Planscherle(Badebaby) 1963
28cm Goldkind 2003
25cm Daeumlinchen 1957
25cm Herzelieb 1997



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ケテクルーゼとニキティキ


 

1970年代のニュールンベルグの見本市会場のケテ クルーゼのブースはとても広々と奥に深く、そして沢山の人形が並びいつも華やかな雰囲気でした。ヨーロッパの専門店の人達やアメリカのバイヤーが、毎年発表される人形の中から次々注文を出してゆくので、バインダーを抱えた大勢の社員が忙しそうに対応していて、それは活気に満ちていました。
その頃はまだ木製玩具以外にはあまり手を出していなかったニキティキが人形を注文するのは勇気のいることでした。でも1977年、思い切って一人の女性社員に声をかけてみました。するとすぐアドラー社長のところへ案内されたのです。社長は小柄で気さくな方でした。『何?日本に輸入?人形は足りないんだけれど、戦前に日本人に売ったことがあるから、あなたにも売りましょう!でも今回は8本だけですよ。』と話は思いがけず簡単に進んで、気がついたら私もバインダーを持った女性と一緒に人形を選んでいました。こうしてその年から、毎年4月頃には見本市で選んだ人形が日本に届き始めました。
注文するときは、前年に仕入れた数が基準になるので、当時はいくら欲しくても毎年少しずつ数を増やしてもらうしかありません。木製玩具作家のヴィターリ氏は、アドラー社長と仲良しでケテ クルーゼのブースで、いつも楽しそうに談笑。そこは小さなサロンのようで、玩具作家やスイスの大きな玩具店のオーナーやジャーナリストのたまり場でした。ニキティキの注文は僕が受けましょう、とヴィターリさんが突然社員に代わってバインダーを持って一緒にブースを回ってくださったり、あの頃の見本市はメーカーの人達もバイヤー達も心にゆとりがあって、一年に一度のお祭りをみんなで楽しむという雰囲気に溢れていました。

毎年ケテ クルーゼからの入荷が増えていきました。顔が日本人好みだったのか、当初から日本人には35cmのシリーズが一番人気がありました。人形だけではなく、アドラー夫人(ケテ・クルーゼさんの三女)が開発した《シールくま》や《くたくた犬》、玩具作家のヴィターリ氏がデザインし木型を作った《タオルくま》などは、オーダー数に制限がなかったので日本の多くの子どもの手にわたりました。一年に一回しかお会いできないアドラー社長でしたが、日本への関心も高かったので、輸入できる人形の数を特別に増やしてくださったり、玩具業界の方たちを紹介してくださったり、いつもニキティキのことを大切に扱って下さいました。

そのアドラー社長が後継者に恵まれず、会社の譲渡先を探していらしゃるのを知ったのは、『 日本人は手工芸に優れているし、良いものを大切に出来るので、日本の会社が引き受けてくれれば本当は嬉しいのだけれど。 』と話された時です。やがてアドラー社長は、1990年オーストリア人アンドレア・カトリン・クリステンソン夫人とアメリカ人のご主人に社の経営を託すことを決断なさいます。新しいケテ クルーゼ社の誕生です。新しいオーナーは、クラシックな人形を作り続けるために、量産が可能なぬいぐるみや指人形、現代的な表情の人形などを開発し市場を拡大し、経営を安定させることから取り組み始めました。ケテ クルーゼのブースは今では新しいエネルギーに溢れ、新しいニーズに応えた色とりどりの雑貨も増え、活気に溢れています。そして、新社長は計画通りケテ クルーゼのファンクラブを作り、歴史的に意義のあるケテ クルーゼ人形の復刻版の生産を毎年手がけ、ファンクラブのメンバーに頒布。ドイツ人形の代表という位置づけを守る努力をしていらしゃいます。恒例の毎年発表される伝統的ケテ クルーゼの人形のバリエーションは少し減り、カトリン夫人の手で開発された新しい表情の人形がクラシックラインに加えられました。現在12,000本のクラシックタイプのケテ クルーゼ人形がこの不況をものともせず毎年世界中に送り出されているのは新社長夫妻の努力の結果だと思います。

1996年2月、アドラー社長が1日だけ見本市に来られるというので、私はお目にかかりにブースに向かいました。再会を喜んでくださった社長と暫く歓談し、昔からのケテ クルーゼのメンバーの方たちと一緒にお写真を撮らせていただきました(写真1)。
2ヶ月余が過ぎケテ クルーゼ社から、アドラー社長の訃報が届きました。
そこには 私のお送りした写真がアドラー社長の最後の写真になったと小さな追記がありました。N記


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1. アドラー氏

2. 左から ケテ・クルーゼ氏
 ハンネ・アドラー・クルーゼ氏
 アンドレア・カトリン・クリステンソン氏

バート・ケ−センのケテ クルーゼ美術館

「ドイツの代表的な人形は?」とドイツ人にたずねると、ほとんどの人がケテ クルーゼと答える。女の子が誕生すると娘にケテ ルーゼ人形を贈る事がステータスだった時代もあったほどで、この人形には日本でのお雛様のような意味合いがあるのかも知れない。戦前ドイツの上流家庭に普及していた古いケテ クルーゼ人形は、今でも多くの人形コレクターの垂涎の品である。ヨーロッパ各国やドイツ国内の玩具美術館や人形美術館では必ずといってよいほど、古いケテ クルーゼ人形に出会えるが、オランダのデンヘルダー(Den Helder)や、本社のあるドナウヴェルト(Donauwoerth)のケテ クルーゼ美術館は、世界各国の人形ファンに良く知られていて、訪れる人も多い。
しかしワイマールに近い元東ドイツの保養地バート・ケーセンのケテ クルーゼ美術館はまだあまり知られていない。1912年から1950年までこの地でケテ クルーゼの工房があったことを記念し1993年、街の中心部にある美術館(Kunsthalle)の2階に、そのケテ クルーゼ美術館は開館された。2005年の冬、雪の積もった美しい保養地バート・ケーセンで、ぬいぐるみのメーカー、ケーセン社を(Koesener spielzeug Manufakutur GmbH)を訪ねたニキティキの一行は、すでに閉館時間を迎えていた美術館を、ケーセン社の社長、Dr.Schache の取り計らいで特別に見せていただいた。館長に案内された広いホールでは、沢山の古いケテ クルーゼ人形が整然と展示されていて、全盛期を彷彿とさせるそのコレクションは訪問者のわたし達をケテ クルーゼの世界に誘い込んだ。本や写真で知っていた古いシリーズの人形たちの視線は、写真で見るのと又違って、長いドイツの移り変わりの日々を語りかけてくるようで、その前をいつまでも離れられなくなるほど人の心をひきつける力を持っていた。短い訪問だっただけれど人形たちに再会を約束して美術館を後にした。古い建物のこの美術館にケテ クルーゼのコレクションはよく似合っていた。




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