KELLER  

KELLER/ケラー社
ドイツ

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 ・ケラー社について  

 ・ケラー社の歴史  

 ・馬から自動車の時代へ 

 ・木馬ぺーターの誕生とシュバーン氏

 ・コンラッド・ケラーの試み 

 ・ケラ−社の才能開発玩具 

 ・2004年コーン氏は語る  

 ・ケラー社製品の紹介 



ケラー社について

ケラー社 (Konrad Keller) は1864年 ドイツのシュトゥットガルト近郊のゴッピンゲン(Goeppingen)という街で、クリスティアン・フォーゲル(Christian Vogel) により設立された長い歴史を誇るメーカーです。2代目、コンラッド・ケラー (Konrad Keller) の時代に、その名をとって社名はコンラッド・ケラー社(以下ケラー社とする)となりました。
1935年には創設者の孫、オイゲン・ケラー氏(Eugen Keller)が3代目社長となり、この代にケラー社は大きな発展を遂げます。戦後の混乱期も終り、ドイツの物づくりが再び世界で実力を発揮し始めた中、ケラー社もヨーロッパ諸国やアメリカ、カナダなどに輸出する力をつけてゆきました。日本へのはじめての輸出は1970年(*)です。*日本市場に出たのは1971年から
そして娘ドリス (Doris) と娘婿のカール・ロベルト コーン(Karl-Robert Kohn) も会社の経営に加わり、三人はマイスターの資格を持つベテランの職人たちと力を合わせ、優れた木製玩具メーカー、コンラッド・ケラー社を築き上げていくことになります。
1970年代から1980年代の前半はケラー社の全盛期。4代目のコーン社長は、業界の重鎮となって広く活躍しました。しかし、そのような流れの中、1990年ケラー社に大きな転機が訪れます。

コーン社長はドリス夫人との間に3人の娘を授かりました。どの娘さんが会社を継ぐのかと周囲が見守っているなか、3人の娘は順に結婚してゆきました。そして残念なことに3人の配偶者の中に、ケラー社を引き継ぐ人がいなかったのです。自問自答を繰り返した末コーン社長夫妻は、工場を閉めることを決断します。ケラー社の工場は、そばを流れる川の水力を使って動力化していた戦前の工場を改造し増築したものでしたが、それ以降はそのほとんどが当時のままの旧い設備が使われていました。新たに近代的に改造をするには膨大な投資と後継者が必要です。熟慮の末、コーン社長夫妻は他社に生産を委託し、ライセンス契約のなかで製品の品質を管理しながら、ケラーの商品を後生に残す道を選んだのです。
何社かがその役割を引き受けましたが、ケラー社にとって最適とはいえないパートナーとの仕事にコーン夫妻は苦労の多い十年余りを過すこととなりました。

しかしついに2002年、ケラー社は誠実な仕事で定評のあるオストハイマー社(Ostheimer)にめぐり合います。
オストハイマー社は、独特の味わいを持つ手作りの木製ミニチュア動物で有名なドイツ有数の木製玩具メーカーです。現在、オストハイマー社はケラー社のアイテムの生産に力を注いでいます。木馬のペーター(Peter)も心をこめて大切につくられています。ドイツでの手工業の存続が難しくなった現代ですが、良いもの作りに徹することで、ケラー社の商品がきちんと生き残る道はあるはずとオストハイマー社社長のシューレ氏(Schuhle)は確信しています。



ケラー社の歴史

1864年

ドイツ ゴッピンゲン(Goeppingen)でクリスティアン・フォーゲル(Christian Vogel)が家内工業で玩具作りを始めた。家内工業の玩具作りは、やがて娘婿のコンラッド・ケラー(Konrad Keller)に受け継がれ社名もコンラッド・ケラー社となる。当時の木工作業は手仕事によるものであった。

初期のコンラッド・ケラー社ロゴマーク

 

1920年

川に沿って建てられた水力発電用水車のある、小さななめし皮工場を借りて工場とした。

1935年

上記の工場を購入し自社工場とする。工場の水車は当時まだ小規模だったケラー社の全ての作業の動力をまかなえた。この年、ケラー社は3代目のオイゲン・ケラー(Eugen Keller)に引き継がれる。

1945年

主に大小様々な木馬を作ってきたケラ−社は、この年から新アイテムを次々と開発。自動車や汽車などの乗り物を始め、動物のモチーフなども加わりケラー社の基盤が確立された。

1952年

3代目のオイゲン・ケラー氏の手で工場は敷地を拡大し改装された。

1954年

4代目として後日ケラー社を担うオイゲン・ケラー氏の娘婿 カール・ロベルト・コーン氏が社の経営に参加。
この年、木馬ペーターのデザイナーでケラー社に多大の影響を与えたヘアマン・シュバーン氏(Hermann Schwahn)とケラー社の出会いがあった。
またこの年に、ケラー社はシュバーン氏が提案した新しいケラー社のロゴを採用。
1954年に商標登録をとったこのロゴは今日も使用されている。

1980年代

インゲ・シャルフ女史(Inge scharf)の協力をえて身障者にも対応できるゲーム性のある玩具シリーズの開発に成功。新しい試みとして業界の注目を集めた。

1986年

コーン夫妻、第5回目の来日。

1990年

後継者がいない為、品質管理はケラー社が受け持ち、ライセンス契約の許に他社に生産を依存する形をとることを決定。

1994年

2つのメーカーとの協力関係を経て、キンダークラム社(Kinderkram)がケラー社の生産メーカーとして本格的に生産に取り組んだ。

2002年

キンダークラム社がオストハイマー社(Ostheimer)に吸収されたことを受け、ケラー社の全商品の生産は、オストハイマー社が受け持つこととなり現在に至る。



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1. 1927年頃の工房、水車が動力として使われている
2. ゴッピンゲンのケラー社の工場 1980年代
3. コーン夫妻
4. オストハイマー社 シューレ氏と娘さん


馬から自動車の時代へ

その昔、馬はおもちゃのモチーフとして大変人気があり、ドイツのどこの家庭にもいろいろな大きさ、様々な種類の馬の玩具があった。やがて交通手段の主役が馬から自動車に変わっていくと、おもちゃの世界でも乗用の動物や荷車が乗用車やトラックに変わっていった。
そんな中で、ケラー社の乗り物玩具はシンプルで美しいデザインと堅牢な作りで、業界の中でもひときわ目立ち、乗り物玩具としてはドイツ一番と評価された。クレーンやフォークリフトなど、仕事をする車の開発に特に力を入れたのもケラー社の特徴。ドイツでは、街中から30分も車で走ると緑の森や広い畑に出会う。そんな環境の中で働く車は子どもたちにとって身近な存在だったので、このシリーズはとても人気が高かった。
工場ではシンプルで、力強さの中に美しさがあるドイツらしいデザインの乗り物が、日々の作業の中で自然な形で生み出されていた。デザイナーが特別参加するわけではなく、現場で、機械や材木の特性を考慮に入れながらの試行錯誤の中で、生産に乗せるアイテムがスタッフの中で決定されていった。
そしてドイツの黒い森で育った堅いブナ材はケラー社のデザインの乗り物を一段と引き立てた。


木馬ペーターの誕生と考案者のシュバーン氏

木馬のケラー社といわれるほど、ケラー社の木馬は有名。
1954年若い彫刻家のシュバーン氏(Schwahn)は自分が考案した木馬をケラー社に持ち込み製品化を求めた。それまでの木馬と違う斬新なデザインに、ケラー社はその場で採用を決めたという。この木馬はペーター(Peter)と名づけられ、ドイツ国内だけでなく各国に広く普及することになった。やがてこの形が木馬の原点となり、色々なバリエーションが多くのメーカーでつくられるようになりケラー社自身も、1970年代から80年代後半にかけてペーターを発展させた少し大振りの木馬や椅子型の木馬なども開発した。それらは当時日本にも少量が入ってきたが、結局今日まで生き残ったのは最初に世に出たペーターであった。
現在は取り外し可能な枠付と枠なしの2種が生産されている。いずれも無垢の白木を使用。透明な水性ラッカー仕上げ。デザインをしたシュバーン氏は彫刻家だが、木馬をあしらった現在のケラー社のマークも彼のデザインによるものだ。



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1. シュバーン氏
2. シュバーン氏の彫刻作品
3. 木馬のペーター
4. シュバーン氏がデザインしたケラー社ロゴマーク

コンラッド・ケラーの試み

80年代。安価な玩具の生産が東欧圏やアジアで可能になり、いくつかのメーカーは、コストがかかりすぎる自社での生産を他国へ移し、コストの削減を図った。しかしケラー社は自社製品はあくまでも自分たちの手で生産するとの信念を曲げなかった。高価でもそれだけの価値がケラー社の商品にはあるのだとコーン氏は自社製品の価格を変えず完成度を維持した。その代わり安価な価格帯の商品を他メーカーから調達し、顧客のケラー離れを阻止しようと試みた。他国の弱小メーカーの製品の中で、優れたものを選んで、ドイツの販売権を取得し、自社製品と一緒にドイツ市場に普及させるという試みであった。
現在世界的に名を知られるようになったプラントーイ社が最初に商品を並べたのも、ケラー社のブースであった。プラントーイ社はケラー社の助力がなくても、自力で世界を制覇する能力を持っていたと4代目のコーン社長は述懐するが、当時ヨーロッパとの橋渡し役としてケラー社が小さなメーカーを育てた実績は多くの人の記憶に残っている。
ドイツ国内の小さなメーカーがケラー社に自社製品の販売を託した例もある。また障害者が生産に携わる施設の工房で生産される玩具もコーン氏は積極的に取り上げて自社のプログラムに加えた。
尚、日本の工芸品の紹介にもコーン氏は意欲を持って取り組んだが、80年代後半の円高などの影響を受け、あまり大きな成果はあげられなかったようだ。

以下は当時ケラー社がかかわった主なメーカーや日本の工芸品

大田久幸 氏 ろくろで制作した鳥の木工品
株式会社 吉徳 日本人形
Cubio Junior 組み立て積木、乗用玩具など
Chelona ゲーム性のある木製玩具など
Plan Toys ゴムの木を素材にした明るく健康的な木製玩具各種
Schowanek / loquai 標識などの小さい玩具
Beck シロフォン付き玉の塔
Bethe / Bielefeld 身障者施設の工房で生産される木製玩具
Sutthausen / Osnabruecke 身障者施設の工房で生産される木製玩具



ケラー社の才能開発玩具

1980年に入りケラー社は看護婦の資格を持つ、インゲ・シャルフ女史(Inge scharf)を中心に、遊びながら身体的な能力や考える力を育てる玩具の開発に力を入れた。対象は幼い子ども、身体障害者、老人も含む家族全員でだった。開発に当たり6つの条件が挙げられた。

 ・緊張感や楽しさを味わいながら、無心に遊べる。
 ・身体能力を促進する。
 ・創造力を刺激する。
 ・考える力を育成する。
 ・豊かな会話能力の発達が期待できる。
 ・社会性を育てる。










実際に病院や幼稚園で実験を繰り返しながら、12種のゲームが商品化された。ほとんどが木製だったが、部品として一部プラスチックの筒やボールなども加えられた。当時は幼稚園や施設や老人ホームなどにも広く求められたが、残念ながら、今日では12種全てが生産中止で手に入らない。こうして作られたシリーズには以下のような長所があった。

 ・作りがしっかりしていてデザインが美しく、部品が大きくて扱いやすい。
 ・色がはっきりしていて魅力的。
 ・丈夫で壊れにくい。壊れても修理できる。
 ・仲間と遊んで初めて楽しさが味わえる。








このシリーズは話題を呼んだが、時代の流れの中で残念ながら姿を消した。世の中に出るのが少し早すぎたのかも知れない。日本にも1984年から数年間、このシリーズが入ってきて、幼稚園や家庭に求められていった。


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1.〜3. 当時の商品
4. シリーズのロゴマーク
 


2004年、コーン氏は語る



● コーン氏にとって ケラーの玩具とは?

ケラー社の乗り物玩具は本来の遊び方に加えて様々な付加要素をあわせもっています。
またシンプルなデザインは子どもたちの想像力を自由にふくらませてくれます。
「ケラーのおもちゃは子どもたちがいつも手の届くところにおいておきたい玩具」との調査結果も出ています。飽きられることなく、子どもたちが繰り返し使ってくれるということがケラー商品の特徴のようです。
プラスティックという新しい素材が発見されると大量生産の廉価な玩具が流通するようになりました。しかしそのことが木という自然素材があらためて見直されるきっかけにもなったのです。デザインが改良され、遊びの内容も吟味されました。当時木製玩具が世界的に評価されるようになった最大の要因は、当社をはじめドイツを中心としたヨーロッパの作り手の確かな技術と仕事のレベルの高さだったと思います。
そこにフレーベル(Froebel 1782-1852)やモンテッソーリ( Montessori 1870-1952) などの教育者が玩具に教育的観点からもより高い価値をもたせようとした理論が加わりました。
1954年にドイツで“spiel gut”(よいおもちゃ)認定委員会が設立されたことも木製玩具への認識を高めるのに一役買ったといえるでしょう。

1980年代に入って、ケラー社では社内での新製品の開発に加え、優秀なデザイナーと協力し身体障害者も遊べるようなゲーム形式のシリーズもプログラムに加わり、商品のラインナップはさらに充実しました。
海外からも声がかかり、日本にはアトリエ ニキティキを通じてケラーの商品が紹介され、日本の子どもたちの手に渡っていきました。妻のドーリスと私は1980年から1986年の間に、アトリエ ニキティキの社内見本市や東京で開催されるバーデンヴュルテンベルク州の博覧会のために5回訪日。そのたびに各地のビジネスパートナー、美術館、多くの友人を訪ねて親交を深め、いまだによい関係が続いています。


ケラー社は海外メーカーのドイツ代理店を務めていたこともあります。タイのプラントーイを見本市で最初に紹介したのもケラー社でした。ケラー社を通して日本に紹介されたメーカーもあります。たとえばギリシャのチェローナ社。当時まだギリシャでしか知られていなかった彼らの商品を国際的な見本市会場のケラーのブースで紹介しました。
日本の伝統的な吉徳の日本人形や北海道旭川の木工作家太田久幸氏の作品をヨーロッパに紹介したこともあります。
またドイツ国内のメーカー、例えばベック社のシロフォン付玉の塔や、施設で生産される乗り物シリーズなどもケラーのプログラムにいち早く取り入れて見本市で紹介しました。



● コーン夫妻が特に好きな玩具は?

・木馬のペーター
・PKW
・1人のりPKW
・4人のりバス
・バウクレーン
これらは、もう何年も前からある商品ですがいまだにその美しさは変わりません。我家の子どもたち、孫たち、そして世界中の子どもたちに愛されてきた玩具です。



● ケラー社が目標とした玩具の品質のよさとは?

1. 自然素材である「木」にふさわしい加工・処理がなされていること
  良い素材を選ぶこと (註:ケラ−社は基本的には国産材料を使う事を信条としてきた。)
2. 子どもに適切で素材にあったデザインであること
  木という素材は、「モチーフの特性を強調し本質的でないものすべてをそぎ落とす」ということをデザイナーに強要します。
  そのことがうまくいけばうまくいくほど、その玩具は完成度を高め、デザイナーの持ち味も はっきりしてくるのです。
3. 堅牢であること
  子どもが信頼し、安心して遊べるおもちゃでなくてはなりません。
  たとえどこかが壊れてしまってもケラーの玩具は必ず修理が可能です。
  こわれた箇所を保護者が子どもたちと一緒に直してあげれば、教育的にも子どもたちにとってすばらしい体験になるに
  ちがいありません。
  使い捨て傾向の強い現代の社会では大切なことだと考えます。
4. 遊びの価値が高いこと
  核となる遊びのアイディアを発展させるための付帯要素が備わっていることが重要だと考えます。
  たとえば、バスに人を乗せることで乗り物玩具に色・数・動き・想像力・社会性などの要素が加わります。
5. シンプルな仕組みや関連動作が理解できること。
  例:身近に観察できる働く自動車、例クレーン、ショベルカー、ダンプカーなどのレバー、ローラー、ケーブル、ハンドル
  などの仕組みを、玩具を通じて知ることが出来るなど。また修理できるということが理解できること。
6. ゲーム類は楽しく遊びながら体の機能を訓練できることがデザインの段階、製作の過程で尊重されていること。
  遊びを通じて健常児と障害の壁が自然になくなる玩具であること。




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