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ユシラ社のおもちゃ作りの理念は、創業者ユッホ・ユシラ氏が教師経験に培った、子どもの心の資質への理解に基づいています。子どもには創造的に考える力が潜在しており、その潜在能力を大人の考えた答えを用意し過ぎることで限定してはならない、という信念をユシラ氏は持っていました。
また、工芸教師時代から大切にしてきた素材選択へのこだわりと仕上げが重要だという彼の考え方が、現在にいたるまでユシラ社が守り続けている基本理念になっています。また、ユシラ氏はフレーベルの教育理念や学校教育の改革派の人々と同じように、子どもの発達のための遊びの重要性は「すべてのよいことの源泉」であり、子どもが本来持っている自然の姿の発露である、という考えの持ち主でもありました。以下に 創始者 ユシラ氏の語録や社の印刷物より会社の理念とも言える部分を抜粋しました。
『 遊びは子どもの仕事であり、それゆえ大人はその子どもにあった道具を与えなければならないのです。遊び自体は自由であってよいはず、つまり子どもの創造性と想像力は、大人の合理性にかこつけたやり方とは無縁であるべきです。』
『私たちは子どもの目を通しておもちゃに関する問題を総合的に見るべきです。子どもにとって遊びとは、大人にとっての仕事と同じ意味を持ち、遊びのなかから子どもの心の中に隠れている多様で個性的なその子ども独自の考え方がめばえていくのです。すでにこの時点で創造的な仕事の基盤が築き上げられていく可能性があり、それはその子どもが大人になった時、人類全体が恩恵を被るような重要な仕事に結びついていく場合だってあるのです。私たち保護者が子どもの遊びを不作法に批判することは許されない罪を犯すようなもの。子どもなりの考えに基づいた構想が邪魔されたり破壊されたりしたとき、子どもの心は取り返しがつかないほど傷つくのです。』
『玩具は自然や実在のものをそのまま模倣すべきではなく、むしろ特徴的であるべきです。どういうことかというと、外側がそのまま形であることよりも、そのものの内面的な特徴(性質)が伝わってくるように形づくるべきであるということです。そうすれば、そのおもちゃは遊ぶ子どもの心の状態に呼応し、子どもの想像力は自由に広がるでしょう。』
『玩具は丈夫でなくてはなりません。壊れやすいおもちゃ―例えば、手にしたばかりの汽車の車輪がすぐにゆるんでしまったり、馬の人形の首が一回ぶつかっただけでとれてしまったら、そのおもちゃは子どもにどのような影響を与えるでしょう。もしかしたら後々ものを大切にしない子どもになるかもしれません。また、しっかり作られているおもちゃは子どもが大人に成長した後も同じ姿を保つことができます。持ち主が年老いたときに子ども時代の玩具が残っているのは嬉しいこと、そんなおもちゃは持ち主の記憶の彼方にある思い出を呼び戻してくれることだってあるでしょう。』
『玩具作りのポイントはシンプルで実用的、そして堅牢であること、言い換えれば、機能的なかたちと構造、耐久性のある素材の選択が大切です。フィンランドで木は入手しやすい身近な素材であり、おもちゃ作りの量産に適していました。色彩も玩具の外見の重要なポイントでした。 』
『玩具の彩色にはできる限り美しい色を選択すべき。子どもの色彩感覚は意識下で発達します。美しく調和のとれた色の組み合わせは、私たちに明るさ、心地よさを与えてくれます。私たちの生活全体を考えても、色彩の重要性は第一に考えるべきことです。』
ユシラ社を訪ねて
(ニキティキのスタッフが夏休みにフィンランドの白夜を体験する旅の途上、ユシラ社を訪ねました。)
1997年6月、友人と二人でユシラ社を訪ねました。フィンランドの首都ヘルシンキから3時間半ほどで列車はユバスキュラ駅に到着します。ユバスキュラはヘルシンキの北約270キロのところにある小さな都市ですが、20世紀を代表する現代建築家アルヴァ・アールト(Alvar Aalto)の出身地であり、市内にはアールトの美術館をはじめ彼の残した建築物が数多く点在しています。彼は高校卒業まで過ごしたこのユバスキュラに建築事務所を設立し活動の拠点にしていました。市の中心にはユバスキュラ大学のキャンパスがあり、活気的でアカデミックな雰囲気が感じられます。
わたしたちを迎えにきて下さったユシラ社の3代目社長エリッキ氏とアリ夫人(現在は引退し会社は娘さん夫婦に引き継がれています)の車に乗せてもらい郊外にあるユシラ社へと向かったのです。市内を出るとすぐ車窓は生い茂った森が続くフィンランド特有の風景に変わります。緑が美しいこの時期、北欧では白夜がはじまります。日が沈むことのない夏の間、フィンランドをはじめとした北欧の人々は真夜中まで野外ディナーをゆっくりと楽しんだり、湖畔にあるサウナに入ったり泳いだりすることで太陽の光を暗い冬の分まで取り入れようとします。ユシラさんも夏休みはいつも一家で湖畔にあるサマーコテージで過ごされるそうです。
青い屋根にピンク色の壁をした正面玄関を入ると、壁一面の棚に並べられたユシラ社の玩具たちがわたしたちを迎えてくれます。今ではすっかりユシラ社のトレードマークとなっている白木に赤黄緑を配色した玩具たち。そして棚の隣にある小さな部屋を覗くと、さらに色とりどりのたくさんの玩具たちがわたしたちを待っていました!ここにはかつて生産されていた車や汽車、ゲームなどユシラ社の歴史を物語るコレクションが収蔵されています。現在のものとは形が違う四角い足のカラームカデやユシラ社が世界的に知られるきっかけとなったコリントゲームの初期オリジナル…。80年経った現在も改良を重ねながら昔と変わらぬアイテムを大切に作り続けているユシラ社のものづくりの姿勢がうかがえます。
工場内には製材され板状になったフィンランド産の樺の木がうずたかく積まれ、5、6人の職人たちはひとつひとつを手にして組立てや色付けをおこなっています。広さ、職人の数をみてもユシラ社の工場は大規模ではありません。しかし、この規模であるからこそお互いの目が行き届く中で職人たちは各々の作業を丁寧に行なえるのでしょう。そして彼らの作業を見ていると愛情をもって自社のおもちゃを扱っている姿勢を強く感じます。それは製作工程ではもちろんのこと、パッケージにおさめられた製品が整然と並べられているところにも表れているようです。
ちょうどユバスキュラ大学では創設者ユッホ ユシラ氏の展覧会が開かれていました。それまで口数の少なかったご主人のエリッキ氏が、教育者としても大きな功績を残した父ユッホ氏のことを熱心に説明して下さる姿がとても印象的でした。
ヘルシンキにある有名なデザインショップやインテリアショップを覗くと必ずユシラ社のおもちゃを見つけることができました。不変でシンプルな中にモダンさも併せ持つユシラの玩具は子供のみならず大人にも受け入れられているようです。
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